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定法院のご紹介

定法院のご紹介

寺籍調査表によると高富にある大龍寺の檀家数十件があって、遠隔のために不便であったので人皇東山天皇のころ(1687~1709年)宝永年間に建てられたとあります。当時は元禄文化が花開いたころであり、江戸や関西だけではなく、地方の農民の生活も落ち着き、現代のような葬式や墓地が整えられた頃でした。

江戸時代、寺は宗教施設だけでなく、宗門改めという戸籍管理の仕事をしていました。それが檀家制度でした。檀家制度により、寺の行事にも参加させられていました。寺に籍があることはキリシタンではないということの証でした。また、寺は寺子屋などを行い、地域の教育を行っていました。このようなわけで、小さな村にも寺が必要だったのだと思います。

宝永年間、村人の要請で大龍寺の天秀和尚が茅舎を建てて僧侶を置いて定法菴と名付けました。昭和2年に老朽した茅舎を改築し、さらに昭和52年に本堂を再建しています。