山肌に張り付いたように立つ小さなお堂の歴史です。
寺籍調査表によると、大龍寺の檀家が数十軒あって沿革のため不便であるので、東山天皇のころ(1675~1709)に、村人たちの請願によって宝永年間に建てられました。
当時のお寺は信仰の対象だけではなく、宗門改めという戸籍管理の場でもありました。また、お寺は寺子屋のような教育の場でもありました。
宝永年間、つまり元禄文化が花開いた時期であり、江戸や上方だけではなく地方の農村でも、現代のような葬儀や墓地ができてきた時代でもありました。
この寺は、村人が大龍寺に懇願し、天秀和尚(大龍寺8世)のときに茅舎を建てて僧侶を置き、定法院としたのです。昭和2年に茅舎を改修し、昭和52年に本堂を再建しました。
地方の人口減少が進む中、昭和から尼僧住職がお寺を守り4代続いての尼僧寺として現在に至ります。このような過疎化が進む地域において、村の小さな寺が残っているということも驚きです。
今もこの寺は静かに村を見守っています。
定法院の歴史

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